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Anjo city Museum of History.

安城市歴史博物館の施設を紹介します。

棒の手


 棒の手は主に愛知県に伝わる奉納芸能です。愛知県の中でも尾張と三河の境、豊田市・尾張旭市・瀬戸市・長久手町などを中心に棒の手が伝えられています。市内では桜井町下谷にのみ現存していますが、かつては高棚町と東端町にもあったと言われています。

 互いに手にした棒や木刀などの持ち物を打ち合わせる動作を奉納するものですが、もともとは農民の自衛のための武術であったとされています。持ち物は棒と木刀を使うのが基本ですが、江戸時代後半から昭和にかけて刀、槍、長刀など刃のついたものを使った演技が人気となり、現在は刃物による演技も多く奉納されています。

 現在の桜井町の棒の手では、展示してある棒、槍、長刀、真剣、笠のほかに木刀、鎖鎌、木刀、十手などを使って演技しています。演技の種類は、大正5年(1916)に「棒術目録附」が記された時は26手でしたが、現在は廃れた演技、新たに加わった演技を合わせて32手が伝わっています。

 棒の手は地域によって鎌田流・見当流・起倒流などの20ほどの流派があり、技や持ち物などがすこしずつ異なります。また地域ごとに農民同士で継承されていましたが、隣の地域とは異なる流派を習得するために他地域の師匠に指導をお願いすることもありました。

 桜井町の棒の手は式部流で、今川義元の家臣であった式部某が桶狭間の合戦に敗れて今の桜井町下谷に落ち延びてきた際に、農民が武術を教えてもらったことが始まりとされています。多くの流派では師匠から弟子に免許状を渡すのに対し、式部流では免許状を出さないことが特徴のひとつです。

 式部流は残された資料が少なく、大正以前の様子などは良くわかっていません。市内の棒の手に関する資料で最も古いのは西町の若者による桜井神社の祭礼記録で、安永7年(1778)に棒の手の奉納があったとの記載があります。この時は下谷のほかに同じ桜井村の印内、城向、西町から奉納がありました。その後も明治、大正と時折奉納の記録が残りますが、昭和の初めごろには休止となりました。昭和31年(1956)に青年から壮年層を中心として復活し、昭和39年に県の無形民俗文化財の指定を受けています。

 現在の演技者は映像のとおり下谷及び城山地区の小学校2~6年生が主になっています。映像の撮影場所は桜井町の桜井神社ですが、棒の手奉納は9月の下谷八幡神社と10月の桜井神社の祭礼で行われています。


棒の手

個人演技前に全体で同じ演技を行います。この「くだき」という演技は終了後にも行います。