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Anjo city Museum of History.

安城市歴史博物館の施設を紹介します。

安城御影


生前に描かれた肖像画

 浄土真宗を開いた親鸞は、鎌倉時代を代表する僧です。現在では多くの寺院にその肖像画が所蔵されていますが、最も古い肖像画のひとつが、かつて安城に伝えられていました。そのためこの肖像画は「安城御影」と呼ばれています(御影「ごえい」または「みえい」は肖像の意味、彫刻の場合もある)。上下に書かれたお経の一部などは親鸞自身が書いています。その末尾には「親鸞八十三歳」とそえられているので、建長7年(1255)に描かれたものとわかります。
 この絵は戦国時代に本願寺へ送られ、現在は西本願寺に所蔵されていますが、ほぼ同時に書かれたものが東本願寺にも伝えられています。西本願寺の安城御影と同じ特徴があるので、こちらも同じ名前で呼ばれたいます。傷みがすすんだ西本願寺の安城御影ではよくわからないところも、東本願寺の安城御影では細かなところまで確認できます。安城市歴史博物館の複製品は東本願寺の安城御影が原本です。

安城御影
安城御影(東本願寺本)の肖像部分模式図

すばらしい顔の表現

 この絵のみどころは、なんといってもていねいに描かれた親鸞晩年の顔です。 眉毛が太くつり上がった様子はとても個 性的です。ほほがやせているところや、 目・鼻・口が小さめなところは、本人と そっくりなのでしょう。まるで写真を見 るような印象です。鎌倉時代には、この ように本人の特徴をよくとらえた肖像画 が盛んに描かれるようになります。安城 御影はその代表的な作品のひとつです。


さまざまな愛用品

 首に巻いているのは帽子(頭にかぶるフード)で、親鸞の肖像画では必ず描かれるトレードマークのようなものです。襟元や衣のすそに赤色や緑色が少し見えることから、黒い衣の下には鮮やかな赤色や緑色の衣を着ていることもわかります。手前の道具は、僧侶の絵に描かれるのがめずらしいものばかりです。向かって左から火桶(小さな火鉢を入れる箱)、猫皮の草履、桑の鹿杖です。小さな座布団のようにみえるのは、タヌキの毛皮の敷物です。これらはいずれも門弟からプレゼントされた親鸞の愛用品と考えられます。親鸞が門弟たちの贈り物に囲まれた姿は、門弟たちを大切に思う親鸞の気持ちを表しています。


文字の部分と絵の部分

 肖像画全体は三重線で囲まれ、その中をさらに三重線で四つに区切られています。肖像部分の上に「浄土論」と「無量寿経」、下に「正信偈」が書かれていますが、文字の3つの部分を合わせると、肖像部分の面積と同じになります。親鸞は門弟たちに「自分の姿を見るときには、同じくらい教えのことも思い出してほしい」と考えていたのでしょう。愛用品のこともふくめ、安城御影には親鸞から門弟へのメッセージが、ギッシリと盛り込まれているのです。

安城御影(東本願寺本)の模式図
安城御影(東本願寺本)の模式図

安城に伝わった記録

 西本願寺の安城御影が描かれた百年後の文和4年(1355)にこの絵を所有していたのは、照空という人物でした。照空は京に住む存覚(親鸞の孫の孫)にこの絵を見せるのですが、存覚はその時にどのような肖像を見たのか略図を加えて詳しく書き残しました(『存覚袖日記』)。そこには持ち主について「参河國安城照空房相傳」(三河国の安城に住む照空房が代々伝えている)と書かれています。この記録の地名「安城」は、現在のところ文字として確認できる最も古いものです。

最初の持ち主

 この記録には、最初の持ち主が専信房専海で、照空は専海の子孫であることや、肖像を描いたのは朝円という絵師であることも書いてあります。専海は親鸞が最も信頼をよせる門弟のひとりです。もとは関東に住んでいましたが、安城御影が描かれた翌年には、遠江国(現在の静岡県西部)の鶴見に移住していました(親鸞消息、建長8年5月28日)。また、この年の十月に専海は、関東から京へ向かう真仏や顕智(いずれも親鸞の高弟)とともに矢作薬師寺で念仏勧進をしました(『三河念仏相承日記』)。これが三河へ真宗がもたらされた最初の出来事といわれています。