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Anjo city Museum of History.

安城市歴史博物館の施設を紹介します。

二子古墳


 安城市桜井町一帯に築かれた約20基からなる桜井古墳群の中で、姫小川古墳とともに最大の古墳です。二子古墳は全長68.2mの古墳時代前期の前方後方墳で、東側に展開する集落を臨む台地上に築かれた古墳です。矢作川流域では正法寺古墳に次ぐ2番目の規模を誇りますが、正法寺古墳は古墳時代中期の古墳であり、二子古墳が築造された古墳時代前期の古墳としては、県内でも最大級の大きさです。最近の調査により、古墳の南・東側には湿地帯が広がり、北側には幅10mの堀を掘って台地から切り離して作られていることがわかりました。葺き石・埴輪はなく、盛り土のみで築かれていました。当時二子古墳の東側には、西三河最大の集落である鹿乗川流域遺跡群があり、これらの集落を統率する首長層が埋葬された古墳であると考えられています。

二子古墳全景
「二子古墳全景」(南西から)
姫小川古墳と比較すると、前方部が高く、後方部との比高差が小さいことが特徴です。
二子古墳全景
「二子古墳遠景」
手前の桜林遺跡の調査で、古墳の南側は当時湿地帯(写真の黒いところ)であったことがわかりました。

二子古墳周辺の調査

 安城市教育委員会では、平成6年から二子古墳及び周辺の調査を続けてきました。その結果、二子古墳と周辺の環境に関する新しい情報が多数蓄積されました。二子古墳の調査は、5箇所にトレンチを入れて墳丘および関連施設の有無などを調査しました。北側には幅約10m、深さ約1mの周溝があることが確認出来ました。南側に隣接する桜林遺跡の調査では、前方部の南側に湿地帯が存在し、湿地と古墳の間にある平坦面に溝が掘られていることがわかりました。この溝は古墳の西側を南下して、湿地帯の直前で東に向きを変えて流れていました。この溝からは墨書のある須恵器をはじめとして刀形などの木製品が出土したことから、古代に何らかの祭祀が行われていた可能性があります。東側の二タ子遺跡では、やはり古墳の東側一帯が湿地帯となっていたことがわかりました。

 これらの調査により、二子古墳は碧海台地の東縁部に選地して築造された古墳で、埴輪や葺き石はないことがわかりました。また、古墳の東側と南側は湿地帯となっており、北側は周溝が確認され、西側はまだ調査されていませんが、おそらく北側と同様に周溝が存在し、台地から切り離して古墳の盛り土を確保したと考えられます。時期を特定出来る土器などは見つかりませんでしたが、前方部が高いことや、埴輪を持たないことなどの特徴から、古墳時代前期後半の築造と考えられます。古墳の東側一帯には、西三河を代表する集落遺跡である鹿乗川流域遺跡群があることから、当時この一帯を統率する首長が、集落からよく見えるこの場所に築造したのでしょう。

二子古墳の立地