矢作川流域の西三河の歴史を、政治・経済・文化の各方面から時代を追って楽しく学べる常設展示室となっています。 ※各画像をクリックで詳細ページをご覧いただけます
堀内貝塚の発掘調査の成果。 堀内貝塚は、碧海台地の東端に位置する縄文時代晩期の遺跡です。
安城を含む西三河は、弥生時代も西と東の境でした。それを土器が教えてくれます。どんな使い方をしていたのでしょうか?
安城市東町の亀塚遺跡から出土した人面文土器が国の重要文化財に決定しました。
桜井古墳群は西三河を代表する古墳時代前期を中心とした古墳群です。
浄土真宗を開いた親鸞は、鎌倉時代を代表する僧です。最も古い肖像画の一つが、かつて安城に伝えられていました。
江戸時代の村は、大名や旗本、幕府、寺社などの領主によって納められていましたが、村請制により、領主は村単位で農民を統治していました。
江戸で万歳といえば、三河からやってきた万歳師たちのそれを指しました。安城はその万歳師たちのふるさとのひとつです。
互いに手にした棒や木刀などの持ち物を打ち合わせる動作を奉納するものですが、もともと農民の自衛のための武術であったとされています。
安城市域を含む碧海郡では、明治10年代に盛んだった綿業に変わり、明治20年頃から養蚕業が農家の副業として定着しました。
安城=「日本デンマーク」。教科書でも紹介されたこのフレーズ、。いったい何が「デンマーク」だったのでしょうか。