安城市
歴史博物館
安城市民
ギャラリー
安城市歴史博物館
催事スケジュール
利用案内
展覧会
常設展・展示替え・ガイド
講演会・講座
イベント・歴博演芸場・マルシェ
刊行物・グッズ
さと会員入会
歴博ボランティア
安城市内小中学校見学学習申込み
中高生職場体験・教員研修受入について
関連リンク
情報誌バックナンバー
お問合せ
安城市民ギャラリー
展示スケジュール
展覧会
展覧会関連イベント
ギャラリー展示
展示室予約状況
利用案内
美術講座
土器づくり教室
刊行物
お問合せ
アクセス・問合せ
安祥文化のさと
「安祥文化のさと」とは?
ぷらす珈琲店
WEBアンケート
Top
安祥文化のさと
安祥文化のさと
「安祥文化のさと」とは、愛知県安城市にある松平氏4代50年の居城跡を整備した安祥城址公園一帯の名称です。 安城市歴史博物館、安城市民ギャラリー、安城市埋蔵文化財センター、安祥公民館、安祥城址公園 と併せて、美術と歴史を気軽に楽しめる文化ゾーンです。
安城城址(安祥城址)の歴史
歴史の散歩道『安祥城址と古戦場めぐり』(安城市教育委員会発行)より
永享年間(1429~1440)に和田氏の居館として安城城は築かれたといわれています。
文明3年(1471)、岩津城を拠点としていた松平宗家3代目の松平信光が謀略を用いて無血入城したといわれ、以後安城松平家4代(親忠・長忠・信忠・清康)の居城となりました。
大永4年(1524)、松平清康が岡崎城に本拠を移すと、安城城には松平の将が城代となったようです。しかし、清康が尾張国守山に出陣中、家臣によって殺害された事件(守山崩れ)の後、清康の叔父で織田氏と関係の深い松平信定(後の桜井松平家)が実権を握りました。天文6年(1537)、清康の子広忠(徳川家康の父)が今川氏を頼って岡崎城主に復帰しましたが、松平一族は、今川方・織田方とそれぞれにわかれて、骨肉の争いを展開しました。天文9年(1540)に織田信秀が安城城を奪い、城代として織田信広(信長の兄)を置きました。しかし、天文18年(1549)に今川軍の攻撃によって落城し、信広も捕らえられ、当時織田方の人質になっていた竹千代(徳川家康)との人質交換を経て、今川の将が城を預かることになります。永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで西三河から今川が撤退すると、水野信元の勧めをもって、信長と家康の「清洲同盟」が結ばれました。これにより安城城は廃城となり、松平・織田・今川の西三河前線基地攻防の地としての歴史を閉じました。
安祥城址公園 散策案内
安城市歴史博物館
安城市域を中心に、矢作川流域の原始古代から現代までの政治・経済・文化など、様々な分野の歴史を楽しみながら学ぶことができる文化施設です。
「企画展示室」では歴史、考古、民俗、産業、宗教といった幅広いジャンルの展覧会が開催されます。「常設展示室」では国指定重要文化財である人面文壺形土器をはじめ、三河真宗の美術品、日本デンマーク時代の資料が展示されています。
安城市民ギャラリー
展示室が5つあり、絵画・写真・工芸などの美術に関する表現の発表の場として、広く一般に利用いただけます。
市民ギャラリー主催の企画展をはじめ、年間を通して、個人やグループなどの様々な美術展が開催されています。
安城市埋蔵文化財センター
安城市内の埋蔵文化財の調査・研究・整理・収蔵を行うとともに、文化財に対する興味と理解を深めることを目的として設立されました。発掘調査の成果を展示するとともに、発掘調査で出土した土器の復元を行う様子なども見学できます。
三の丸跡
本丸の西側にとりつく安城城三の丸跡です。
風呂井
その昔、安城村の北西の丘陵地に良い水が出るとわかると、周辺にいくつかの井戸が掘られ、いつしか七つ井と呼ばれました。風呂井はその一つです。
虎口跡
安城城の出入り口である虎口跡です。
隅櫓跡(北)
安城城の城郭の隅に設けられた櫓跡とされています。
中川覚右衛門頌徳碑
安永8年(1779)、安城村の庄屋中川覚右衛門は不作に苦しむ村民のため、年貢の減免を願い出ますが許されず、自決しました。その後、年貢は減免されることになり、覚右衛門は安永の義民と称されるようになりました。その中川覚右衛門の頌徳碑が大乗寺にあります。
中川覚右衛門自刃の地
大乗寺北の門前の石碑のあるあたりが、覚右衛門が自刃した場所といわれています。
本多忠高墓碑
安城城奪回の戦の時に松平軍の本多忠高は、時の安城城代織田信広を本丸近くまで追い詰めますが、敵の矢に当たり討死にしたといわれています。現在、戦死した場所に墓碑が建てられています。
本丸跡
現在、本丸跡地には大乗寺があります。また、大乗寺には安城松平家4代城主(松平親忠・長忠・信忠・清康)の位牌が安置されています。
隅櫓跡(南)
安城城の城郭の隅に設けられた櫓跡とされています。
切岸
本丸の南西にあるのは、敵の侵入を防ぐ切岸跡です。
善恵坊の碑
天文13年(1544)、安城城攻防戦でひとり敵中へ討って出て、奮戦したと伝わる安城村の法師善恵坊を供養した碑があります。
二の丸跡
現在、二の丸跡に八幡社があります。文明11年(1479)、松平親忠が安城城主となり、八幡宮を城中に創建しました。歴代の城主の尊崇も厚く、鎮守の神と崇め奉られました。
姫塚
安城城攻防戦で亡くなった女性を葬ったと伝わる姫塚です。
~安祥文化のさと満喫コース~
所要時間1時間30分程度
【スタート】
安城市歴史博物館
安城市民ギャラリー
安城市埋蔵文化財センター
三の丸跡
風呂井
虎口跡
隅櫓跡(北)
中川覚右衛門頌徳碑
中川覚右衛門自刃の地
本多忠高墓
本丸跡
隅櫓跡(南)
切岸
二の丸跡
【ゴール】
姫塚
~安祥城歴史散策コース~
所要時間50分程度
【スタート】
安城市歴史博物館
三の丸跡
虎口跡
隅櫓跡(北)
本多忠高墓碑
本丸跡
隅櫓跡(南)
善恵坊の碑
二の丸跡
【ゴール】
姫塚