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安祥文化のさと
「安祥文化のさと」とは、愛知県安城市にある松平氏4代50年の居城跡を整備した安祥城址公園一帯の名称です。 安城市歴史博物館、安城市民ギャラリー、安城市埋蔵文化財センター、安祥公民館、安祥城址公園 と併せて、美術と歴史を気軽に楽しめる文化ゾーンです。
安城城跡(安祥城址)の歴史
歴史の散歩道『安祥城址と古戦場めぐり』(安城市教育委員会発行)より
永享年間(1429~1440)に和田氏の居館として安城城は築かれたといわれています。
文明8年(1476)以降、岩津城を拠点としていた松平宗家3代目の松平信光が謀略を用いて無血入城したといわれ、以後安城松平家4代(親忠・長忠・信忠・清康)の居城となりました。
大永4年(1524)、松平清康が岡崎城に本拠を移すと、安城城には松平の将が城代となったようです。しかし、清康が尾張国守山に出陣中、家臣によって殺害された事件(守山崩れ)の後、清康の叔父で織田氏と関係の深い松平信定(後の桜井松平家)が実権を握りました。天文6年(1537)、清康の子広忠(徳川家康の父)が今川氏を頼って岡崎城主に復帰しましたが、松平一族は、今川方・織田方とそれぞれにわかれて、骨肉の争いを展開しました。天文9年(1540)に織田信秀が安城城を奪い、城代として織田信広(信長の兄)を置きました。しかし、天文18年(1549)に今川軍の攻撃によって落城し、信広も捕らえられ、当時織田方の人質になっていた竹千代(徳川家康)との人質交換を経て、今川の将が城を預かることになります。永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで西三河から今川が撤退すると、水野信元の勧めをもって、信長と家康の「清洲同盟」が結ばれました。これにより安城城は廃城となり、松平・織田・今川の西三河前線基地攻防の地としての歴史を閉じました。
安祥城址公園 散策案内
観光ガイドのご案内
「安城ふるさとガイドの会」は、安城市と矢作川流域の史跡と文化をご案内するボランティアガイドです。安祥城址公園内の史跡めぐりのガイドもおこなってくれます。
- 実施日時:年末年始、お盆休み以外の午前9時~午後4時
- 所要時間:1時間~2時間程度
- ガイド料金:無料(施設入場料等は必要)
申込み:安城ふるさとガイド申込書はこちらよりダウンロードください。
「安城ふるさとガイド申込書」PDF
「安城ふるさとガイド申込書」doc
申込先:安城市観光案内所 キーポート FAX:0566-77-5712
~安祥文化のさと満喫コース~
所要時間1時間30分程度
【スタート】❶安城市埋蔵文化財センター
❷安城市民ギャラリー
❸安城市歴史博物館
❹三の丸跡
❺風呂井
❻虎口跡
❼隅櫓跡(北)
❽中川覚右衛門頌徳碑
❾中川覚右衛門自刃の地
❿本多忠高墓碑
⓫本丸跡
⓬隅櫓跡(南)
⓭切岸
⓮善恵坊の碑
⓯二の丸跡
⓰姫塚【ゴール】
~安城城歴史散策コース~
所要時間50分程度
【スタート】❶安城市歴史博物館
❹三の丸跡
❻虎口跡
❼隅櫓跡(北)
❿本多忠高墓碑
⓫本丸跡
⓬隅櫓跡(南)
⓮善恵坊の碑
⓯二の丸跡
⓰姫塚【ゴール】